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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)2516号 判決 1975年10月06日

控訴人

朝日交易株式会社

右代表者

小川清雄

右訴訟代理人

檜山雄護

被控訴人

甲府信用金庫

右代表者

斎藤勤

右訴訟代理人

徳満春彦

外二名

主文

本件訴訟を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人金庫南支店が昭和四二年三月一一日堀内要七を代表取締役とする訴外会社を預金名義人として当座預金契約を結び、金四六〇万円の預金を受け入れたこと、訴外会社の代表取締役堀内要七が同月一三日同支店から交付を受けた小切手用紙一枚(小切手用紙一枚だけが交付されたものか、それが一冊として交付された小切手帳のうちの一枚であつたかの点は別として)に金三〇〇万円と記入し訴外会社代表取締役の印鑑(この印鑑が預金開設に際し届け出られていた同会社代表取締役の印鑑と同一のものであるかどうかの点は別として)を押捺し、この小切手により同額の預金の払戻しを請求し、同支店がこれに応じたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。そうして、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

控訴会社の代表取締役小川清雄は、かねて知り合いの堀内要七から、同人が「チップ」供給事業を営むについて、銀行から信用され融資を受けられるよう、小川の資金的援助により、堀内のため、銀行に当座預金口座を開設してもらいたいとの懇請を受けたこと、そこで小川は、自己が代表取締役として主宰する訴外東西開発株式会社の商号を南信産業株式会社と変更し、自らはその代表取締役の地位を退き常務取締役となり、代わつて堀内をその代表取締役とし、訴外会社代表取締役堀内要七名義で、被控訴人金庫南支店に当座預金口座を開設することに合意したこと、その結果、小川は、堀内及び堀内の仲間である訴外清水某とともに昭和四二年三月一一日同支店に現われ、支店長中込晴孝及び次長三井光一らと面接し、同人らは堀内を訴外会社の代表取締役として、小川をその常務取締役として紹介したうえ、小川の提供した現金四五〇万円と金額一〇万円の小切手とを差し出し、当座勘定約定書(乙第一号証)には堀内自身が訴外会社代表取締役として署名し、その名下に小川の所持する同会社代表取締役の印鑑(真正印)を押すとともに、印鑑紙にもこの印を押して提出し、かようにして訴外会社代表取締役堀内要七名義の金額四六〇万円の当座預金口座を開設し、その際同支店から交付された小切手帳、約束手形帳各一冊は、真正印とともに小川が保管していたこと、堀内は、その間、小川の不知の間に甲府市内の印房に注文して真正印に似せて作成させた印鑑(偽造印)を所持していたのであるが、右預金口座開設の日の翌々日(翌一二日は日曜日であつた)この偽造印を持参して同支店に現われ、すでに面識のある三井次長に、「預金をおろしたいが、小切手帳を忘れて来たので、小切手帳をいま一冊交付されたい」旨を要請したこと、そこで三井は、新たに小切手帳一冊を交付する形式をとり、そのうち一枚を堀内に使用させることとし、堀内からその署名印(この押印は偽造印によりなされた。)のある「小切手帳受領証」(乙第二号証)を徴したうえ、この小切手帳のうちの一枚を堀内に渡し、残りの小切手帳は同支店において保管したこと、堀内はこの一枚(乙第六号証の一、二の原本に当たるもの)に金三〇〇万円と記入し訴外会社代表者としてこれに署名し、持参した偽造印をこれに押し、この小切手により同額の預金の払戻しを請求したこと、同支店においては、この印影をさきに届け出られていた真正印による印影と照合し、相違がないものとして右請求に応じ、堀内は、即日、払戻しを受けた金員をもつて、偽造印を届出印として、同支店に金額三〇〇万円の定期預金を設定したこと、以後堀内は、右定期預金を担保として、小川にことわりなく、手形貸付の方法により、同支店から金融を受けていた(これらの取引には、すべて偽造印が使用された。)が、これを返済することができなかつたため、この債務と定期預金債権とが相殺され、右定期預金債権は消滅したこと、以上の事実を認めることができる。

二ところで、控訴人は、問題の当座預金四六〇万円の実質上の権利者は控訴人であつて、右預金口座開設に際し、控訴会社代表者小川は、「資金は控訴人が振り込むものであるから、控訴人の承諾のない限り、払戻しをしてはならない。小切手帳及び訴外会社の代表印は、控訴人が保管する。」旨を告げたと主張する。

そこで、同年三月一一日右預金口座の開設に当たつて、このような発言があつたかどうかを検討してみるに、<証拠>によれば、小川は、当日、同支店において三井次長らに面接して預金開設の手続をすべて終わつた後、帰る間際に、同支店から交付さた小切手帳及び約束手形と印鑑とを自己の携帯していた鞄の中に入れながら耳うちにより同次長に話したというのであるが、この供述は、次の諸点から考えて、容易に信用しがたい。すなわち、(イ)小川が同支店に対し、問題の預金が実質上控訴人のものであつて、その承諾のない限り払戻しが許されない性質のものであることを、初めから、同支店に了解させておきたいと考えていたのであるならば、このような重大なことを、すべての手続が終つた後、帰りぎわに耳うちで話すということは、いささか、不自然であること、(ロ)預金口座開設の目的が一に認定したとおりであれば、控訴人と堀内との内部関係をあからさまに同支店に打ちあけることは、この目的にそぐわないことであつて、普通考えられないところであること、(ハ)前掲三井証言及び乙第五号証によれば、その際、小川は、訴外会社常務取締役の肩書のある名刺を出したに過ぎず、控訴会社代表取締役の肩書のある名刺を差し出した形跡がないこと(この認定に反する証拠はない。)、(ニ)前掲三井証言は、このような発言があつたことを否定していること、以上の諸点から考えれば、前記本人の供述は、到底信用することのできないものであり、他に右のような発言があつたことを認めるに足る証拠はない。かえつて、以上(イ)ないし(ニ)の諸点を総合すれば、このような発言はなかつたものと認められる。

してみると、他に、同支店が問題の預金の実質上の権利者が控訴人であることを知つていたと認めるるに足る証拠のない本件においては、同支店は、かようなことは知らなかつたものと認めざるをえない。(前掲本人尋問の結果中には、同月一二日堀内が前期清水とともに、酒をもつて三井次長宅を訪れた事実がある旨を供述しているが、仮りに、そのことが事実であるとしても、それだけで、三井次長が小川と堀内との内部関係を知つていたこととなるものでないことは、いうまでもないところろである。)

三してみると、被控訴人金庫南支店としては、堀内要七を代表取締役とする訴外会社をもつて、問題の当座預金の預金者本人として取り扱うほかはないわけであり、仮りに、その実質上の権利者が控訴人であることにつき控訴人と堀内を代表取締役とする訴外会社との間に了解が成立していたものとしても、控訴人は、このことを知る由しもなかつた被控訴人に対しては、民法第九四条により、控訴人が真の権利者であることを主張し得ず、その反面、被控訴人は、堀内を代表取締役とする訴外会社を真の預金債権者と主張し得る筋合いである。

とすると、前認定の事実関係の下で、堀内要七が訴外会社代表取締役名義により、偽造印を使用して、問題の預金から金三〇〇万円の払戻しを受けた関係は、預金者本人が預金設定の際に届け出た印鑑と異なる印鑑を使用してその払戻しを受けた関係に等しいものというべきところ、預金者本人がその意思に基づき預金の払戻しを受けた場合においては、たとえ、払戻しに当たつて使用された印鑑が届出印と異なるものであつても、このため払戻しの効力は妨げられないものと解すべきであるから、被控訴人南支店のした前記預金の払戻しは、その際使用された印鑑が偽造印であつて届出印と異なるものであつても、このため払戻しの効力は左右されることはないものというべきである。従つて、被控訴人南支店のした前記預金の払戻しは、結局、有効と認めらるべきものであつて、この結論は、新たな小切手用紙の交付に関する前認定の事実を考慮に入れても異なるものではない。

四そればかりでなく、<証拠>によれば、訴外会社と被控訴人との間の預金契約書である前記「当座勘定約定書」の第一一項には、「当金庫においてお届出の印鑑に照合し手形または小切手をお支払したときは、その手形、小切手、小切手用紙または印章につき盗用その他どのような事故があつて当金庫はその損害を負担いたしません。」との約定があることが明らかであり、この条項の適用により被控訴人が責任を免れるのは、被控訴人が印鑑を照合して払戻しをしたその手続に過失(すなわち、銀行取引上、通常要求される注意義務の懈怠)がなかつたと認められる場合に限るものと解するのが相当であるが、以下に述べるような理由により、この点につき、被控訴人南支店には過失がなかつたと認められるので、被控訴人は、同条項の適用によつても、損害賠償の義務を免れるものというべきである。

すなわち、堀内が預金の払戻しに当たつて使用した偽造印は、もともと、前認定のように堀内が専門の印房に注文して真正印に似せて作成させたものであるから、それが真正印に酷似するものであることは当然であり、その類似の度合いは、当裁判所が前掲乙第八号証の二の訴外会社代表取締役堀内要七名下の印影(それが偽造印によるものであることは前認定のとおりである。)と前掲乙第三号証(印鑑紙)の印影(それが真正印によるものであることは、前認定のとおりである。)とを対照して考察したところによつても、疑いの目をもつてし細に観察すれば、一部相違箇所らしいものを発見することがまつたく不可能とまではいい得ないとしても、大量、定型的、かつ迅速処理の要求される銀行取引において通常要求される注意義務をもつてしては、その相違を看破することは困難と認められる程度のものである。とくに、被控訴人に面識のある預金者本人が偽造印を持参して預金の払戻しを求めたという前認定の状況の下においては、被控訴人南支店において届出印との相違を発見し得なかつたことは、無理からぬことであり、また、前認定のような状況の下で新たな小切手用紙一枚が交付されたことが過失を構成するものとは考えられないので、同支店が印鑑の照合により預金を払い戻した手続に過失はなかつたものというべきである。

五以上いずれの理由によつても、被控訴人南支店のした預金の払戻しは有効であつて、これが控訴人に対し不法行為を構成することもあり得ないと認められるので、控訴人の本訴請求は、爾余の争点の判断に立ち入るまでもなく、理由のないものであることが明らかである。これと同旨の原判決は正当であり、本件控訴は棄却さるべきものである。

よつて、控訴費用の負担につき、民訴法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(白石健三 小林哲郎 間中彦次)

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